Sous Osaka (地下鉄の人びと)










Masaomi Yoshimura  作:ヨシムラ・マサオミ
Riquie Izoumi  翻訳:泉 りき

前書き(作者のことば)
Mon roman « Sous Osaka » composé en trente récits. Quand je prends le métro minucipal d’Osaka, la deuxième ville du Japon, j’enregistre des evénéments et des comportements humains. Je suis certain qu’un transport en commun en grande ville pourrait refléter notre société.
D’autre part, le big data (mégadonnées) et d’institutions et d’entreprises puissantes d’aujourd’hui devraient nous soumettre à leur points de vue : telle est la vie moderne, telle est la personne ou telle est la valeur. Ce qu’ils disent devient de plus en plus la norme normale.
Au contraire, je pense que quelque chose de vrai réside dans la vie des gens peu importents et oubliés que le pouvoir ne mettrait jamais en lumière. Considerant les utilisateurs de métro, agents et des gens concernés ce transport, je me rends compte de ma volonté d’exprimer «Tant qu’il y a des passagers, il y a des vies diverses et précieuse ».
J’espère que mon regard extérieur aidera les Japonais qui vivent dans une situation étouffante.

フランス語による小説 « Sous Osaka »は、30の短編でできています。大阪の地下鉄に乗り、できごとや乗客の行動や態度を記録しました。大都市の公共交通は、現代の社会を映し出します。
他方、ビッグ・データに代表される情報の集積、繁栄する団体や企業は、私たちを彼らのやり方に従わせようとします。「これこそ現代の生活だ」「これこそスマートな人間だ」「これこそ価値があるのだ」というように。彼らの意向が、次第に世の中のあたりまえの規範のようになっています。
力ある者たちが見向きもしないような「とるに足りない」「忘れられた」私たちの生活にこそ、現実や真実が見えます。すれちがう人々の数だけ、かけがえのないそれぞれの人生がある。利用者、職員らを観察し、彼らについて書きたいと思いました。
それは私自身であり、あなたかもしれません。


1 L’ex.  昔の彼、昔の彼女
 平日の午後3時。事務所に戻るため、彼は地下鉄谷町線にとび乗る。打ち合わせはうまくいった。上機嫌だった。ドアが閉まり、座席に座る。ポケットからスマートフォンをとりだす。ふと顔を上げたときだった。「あれっ、あいつ…?」どきっとする。まさか。9年前、彼女は出て行った。会うのはそれ以来だ。見た目は変わっていない。
 「大阪にいったい、何の用なんだ」その一方で、どうやって声をかけようか、彼は思案していた。よぅ、元気?それはないな。てっきり東京にいると思っていたが。こっちに戻っていたのか。すっかりあわててしまい、彼女をまもとに見ることができなかった。次の駅で下りれば、この状況から逃れられる…。ところが、席を立つことができない。
 電車が駅に着いた。
 思い直した。こっちには何ひとつ非がない。逃げ出す必要などどこにもない。非があるとすれば、むしろ彼女の方だ。勝手に出て行ったのだから。行ったり来たりする気持ち。
 車両は薄暗い空間をつき進んでいく。
 彼女は、気づかないふりをした。「なさけない!」大昔、彼女がプレゼントした赤いTシャツを、彼はまだ着ていた。そういうところが我慢できなかった。だけどもう、すんだことだ。恨むとか、一切ない。彼がいたからこそ、自分は東京に出て、大手出版社に入れた。今では編集者だ。

 
 15年前。彼女は広告代理店に入社し、あるチームに配属された。チームのリーダーが、若手プランナーの彼だった。プロジェクトが立ち上がった直後、彼女は交通事故で入院することになる。コピーライターとしての仕事を手放したくなかった。そんな彼女に同情し、病室でも仕事がしたいという頼みを聞き入れ、彼はパソコンを用意した。ふたりはメールでやりとりするようになる。プロジェクトが詰めの段階になると、彼はしょっちゅう病院へ顔を出し、打ち合わせをした。完成したTVコマーシャルは、広告賞を受賞した。彼女が病院を退院したあとも、彼はあれこれ身の回りのことを手伝った。やがていっしょに暮らすようになる。ふたりが組んだ仕事も、うまくいっていた。
 いっしょに暮らし数年が過ぎたある日のこと。彼女に「東京で仕事をしないか」と声がかかった。願ってもないポストだった。彼女は迷った。彼は引き留めようとした。だが、この機会を逃すことはできなかった彼女は、何も言わず彼のもとを離れた。それ以来、ふたりは顔を合わせなかった。

 
 横に男がいた。明らかに年下。彼女に甘え、しなだりかかっている。彼は思う。あいつに似合わない。ペットの値打ちもない。
 彼女は、男といっしょのところを見られて恥じている。
 大型ショッピングセンターがある駅に停車する。ふたりが昔、よく行った場所だ。乗降客が多い。
 彼女は降りようとしない。「いったい、どこへ行くんだ?」第一線のライターになろうと、努力をしてきた女が、こんなつまらない男とやっていけるはずがない。「いや、わからない。仕事は一流でも、私生活は裏腹ってことは十分ある。ほしいのは、今どきの癒やし系ってことか」
 
 「きっと次の駅で降りるって。あの人、ずっとあの会社で働いてるんやから」。彼女もまたその会社に長く勤めたが、もうすっかり過去のことだ。「えっ、降りれへんやん」別の会社に移ったのか、とも思ったが、いちいち本人に確かめたくなかった。恋人か嫁がいるに決まっている。むこうの生活も変わったのだ。彼女はこれ以上、詮索しないと決めた。自分がいなくなって、ショックは相当だったにちがいない。いまだに古いTシャツなんか着て。あのころが、あの人の人生のピークだったってことよ。
 急に、隣の年下男がいやになってきた。別れる決心をした。「だけどあの人、なんで降りれへんねん」「もう、はやく降りてくれたらええのに」
 彼は降りようとしない。降りそびれてしまった。それどころか、もう少しで彼女に話しかけるところだった。
 車両は何事もなく動きつづけている。


2 YÔ OKOSHI 駅のトイレに、ようおこし

 長堀鶴見緑地線の駅の売店。販売員の女性が、棚に朝刊各紙を並べている。おもむろに一紙をとり、投書欄を広げる。大阪の地下鉄の公衆トイレが、整備されたことについての感想だ。「新しくなったトイレをとても気に入っています。茶色の木製の壁、床はグレー、便器も最新型です」。
 投書の主はほめているが、販売員はどうも納得できないことがある。常連客が来ると、そのことを話題にする。話の最後には必ず「まぁ、言うてもしゃあないけど」と互いを納得させる。
 気になるのは、トイレの入口に書かれた文字「ようおこし」だ。いらっしゃい、ようこそにあたることばである。昔、京都の商人が客に使っていたらしいが、京都のことばをトイレの入口に大きく表示するとは。ここは大阪だ。地元の人間にすれば、そんな表示は不要で、おもしろくも何ともない。販売員と常連は「ふつうの日本語にしとかんとあかんで」と言い、うなずきあう。
 公衆トイレの整備は、交通局の局長が旗振り役だ。市長がじきじきに局長に据えた人物で、「ようおこし」は、局長自らの発案らしい。この局長、かつては京都にある鉄道会社の幹部だった。側近らとともに、地下鉄の活性化にとりくんでいるのだが、観光都市にある小鉄道の成功体験しかない彼は「ようおこし」が不似合いだと気づかない。彼もその取り巻きも、どうやら大阪がわかっていない。
 市長は、悪評に満ちた、傲慢きわまりない人物だ。局長の手腕を高く買い、「ようおこし」に違和感はないらしい。駅で働く者たちは、局長と言っても名ばかりで、市長の言いなりでしかないと思っている。市長はこの局長に指示し、職員たちが反対する施策を次々にやらせている。。
 そしてこの売店は1か月後に取り壊され、販売員は職を失う。駅の利用客が減ったのが理由に挙げられていた。駅勤務の職員5名が車両工場へ異動になる。「控え室での喫煙」が理由だ。
 局長の任期はあと2か月。市長も来年には辞任する。どうせならさっさと消えてほしい。
 地下鉄は、朝となく夜となく、変わらず走りつづける。連中の野心にただただ奉仕するために。